大阪城本丸にある蛸石という巨石 | 大坂城本丸の観光ポイント
大阪城本丸の見どころ観光ポイントです。
まずは本丸入口の桜門を入った場所にど〜んと目につく蛸石(たこいし)。
蛸石の名前の由来は表面の模様がタコに見える事から、その様な名前が付いたといわれています。
大阪城で一番大きい石といわれ、広さは畳にして約36枚分とのこと。
また蛸石の左側にも大きな石がありますが、これは大阪城で3番目に大きい振袖石(ふりそでいし)。
木々に隠れて発見しづらいですが、よく見るとやはり目立ってますね。
ちなみに振袖石の大きさは畳約33枚分!
ちょっと外をのぞいてみると…
本丸から外をのぞいてみると、内堀が見えますね。
現在の大阪城には外堀と内堀があり、内側の堀をぐるっと見渡すことができるんです。
よく見てみるとかなり大きく、またこの内堀は城外から見る事ができません。
大阪城の金庫
また本丸には大阪城の金庫であった金蔵も残っています。
※読みは『かねぐら』、『かなぐら』、『きんぞう』とも
江戸時代のもので重要文化財。
大阪城本丸には2つの金蔵があったようで、内部は非常に頑丈にできていたみたいです。
一般公開されているのは外観だけですが、案内看板によると内部は大小の2つの部屋があるみたい。
手前の大きな部屋には通常の出納用。
奥の小さな部屋には非常用の金銀が置かれていたそうです。
たぶん千両箱とか山積みされていたのでしょうね。
鼠小僧でも侵入は無理っぽい!みたいなガッチリした構造が印象的でした。
大阪城の抜け穴伝説
大阪城本丸に築かれた唯一の帯曲輪(※着物の帯みたいに細長い曲輪)が天守閣の西側にありますが、実はここには抜け穴伝説があります。
この帯曲輪は豊臣時代には無く、江戸時代の徳川時代に築かれたもの。
ここにはかつて硝煙蔵(火薬庫)があり、立ち入りが非常に厳しく制限されていたため、大阪城が落城する時に城主が逃れるための抜け穴があるのでは?という伝説が生まれた場所です。
大阪城の抜け穴伝説は、ここのほかに六番櫓の下の石垣などにもありますが、本丸にもあったとは。
現在では一般の観光客も入る事ができるので、もしかすると未発見の抜け穴を見つける事ができるかもしれません。
上田城との関係
天守閣前にある大阪城・上田城友好城郭提携記念碑。
これは大坂の陣で奮戦した真田幸村をキッカケに、彼の生まれ故郷である上田城(現在の長野県上田市)と大阪城が友好城郭提携を結んだ時の記念碑です。
ひとりの戦国武将をキッカケに2つの城が協力してますね。
ちなみに上田城も城郭ファン、歴史ファンが多く訪れる城として知られています。
感想
大阪城本丸は見どころも多く、写真ポイントもたくさんありますが、観光客もたくさん集まる場所なので、天守閣の写真を含め人が映ってしまうのが少し困りました。
あと、蛸石と振袖石は必見だと思いました。
その理由は大きさです。
写真で見るとピンときませんが、実物を見るとかなりデカい!
こんな石をクレ−ンや重機が無かった時代によくここまで運んだな〜と、昔の人夫のキアイを実感。
ここも十分時間をとって訪れたいです。