真田幸村最後の地・大阪市の安居神社へのアクセスと感想そして場所
大阪市の安居神社とは、慶長二十年(1615)の大坂夏の陣の時、真田幸村(信繁)が最後を迎えた場所です。安居天満宮とも。
大坂の陣の前からあった神社ですが、創建された年はよく分かっておらず、少彦名神(すくなびこな)が祭られており、天慶五年(942)から菅原道真が祭られるようになったといわれています。
また菅原道真が大宰府に流される時、風待ちのために休息をとった為に安居という名が付いたという説があります。
観光地というより神社ですが、現在でも多くの歴史ファンをはじめ、観光旅行で訪れる人が多いスポットになっています。
なぜここが最後の地?
慶長十九年(1614)の大坂冬の陣の後、徳川家康によって大坂城の外堀は埋められ、大坂城は多くの防御機能を失いました。
そして翌年の夏の陣。
大坂方の軍勢は、籠城するよりはと思い、幕府軍に対し野戦にて出陣することに。
徳川家康は『3日で終わる』と余裕の出陣でしたが、大坂方の猛攻に幕府軍は手こずります。
この時、真田幸村は徳川家康本陣に突撃!
記録によると3度の突撃で、本陣の旗は倒れさ、家康本人も逃げ出す有様だったとか。
しかし多勢に無勢で、真田軍は押し戻され、幸村も安居神社に落ち延び、この地で最後を迎えたと伝わります。
最寄りの駅はどこ? | アクセス
まず安居神社へのアクセス。
最寄りの駅ですが、地下鉄で行く場合、大阪市営地下鉄・堺筋線(さかいすじせん)の恵美須町駅が便利です。
大阪市にはエンジョイエコカ−ドという地下鉄1日乗り放題のフリ−パス券もあるので、大阪城や周辺の観光地とセットにする場合も重宝します。
恵美須町駅2番出口から出て、東の方へまっすぐ歩けば10分くらいで安居神社に着きます。
非常にわかりやすいです。
近くには大阪の観光地として有名な新世界(通天閣があるとこ)がありますので、ココもセットにしやすいですね。
安居神社の中に入ってみる
ではいよいよ安居神社の中に入ってみます。
恵美須町駅を出てから国道25号線沿いにあるので、国道から左側に折れるカタチで入って行きます。
境内まではビルのスキマみたいな細い参道を歩いての参拝です。
参道の途中に案内看板もあるので、分かりやすいと思います。
境内には本殿のほか、社務所もあり、絵馬や真田グッズも販売しています。
真田グッズはネット通販とかでいろんなものが購入できますよね。
例えばTシャツとか、スマホカバ−とか、あるいは五月人形など。
しかし安居神社でしか入手できないものもあるので、ここの社務所も要チェックです。
また宮司さんでしょうか?社務所の方も非常にわかりやすく境内の事やゆかりを解説してくれました。
そして幸村が最後を迎えたのが、境内にあった松の木のふもと。
つまりこの場所ですね。
亡くなった後、さなだ松として、後の世に伝えられています。
ちなみにもともとあった松は枯れてしまったらしく、現在のものは何代目か忘れてしまいましたが新しい松。
でも場所はココ!とのこと。
境内には真田幸村の銅像も建立されています。
しかし私の感想ですが、三光神社(真田丸跡)に行った後にこの銅像を見ると、なんだか違和感がありました。
というのは、ここは幸村最後の地という事なんです。
つまり、三光神社にあった銅像は、幸村が甲冑を身に付け、指揮を執る姿なのですが、安居神社の幸村像は家康軍に突撃した後のものなのでしょう。
家康を倒す事はできませんでしたが、『やる事は全てやった』という安堵の表情にも見えます。
同じ幸村の銅像でも、その現場によって違う様に作られている。
当たり前のことですが、それぞれ銅像を建立した人達の想いが伝わりますね。
大阪城ともゆかりが深い場所なので、大阪城とセットで訪れる事をオススメします。
時間
開門時間 7時
閉門時間 16時