真田丸跡の場所はココ!三光神社と心眼寺へのアクセスと感想
真田丸(さなだまる)とは、かつての大坂の陣で、真田信繁(幸村)が築いた砦の名前です。
大坂城の南側を守備した曲輪(くるわ)としても伝わっています。
今回はその真田丸の場所と、実際に私が行ってみた感想について紹介します。
2016年NHK大河ドラマ・真田丸でも有名になりそうなスポットでもあるので要チェックよ!
さて、慶長十九年(1614)に起こった大坂冬の陣の時、豊臣方の武将である真田信繁(幸村)が大坂城の南・平野口に築きました。
徳川家康率いる幕府軍は、圧倒的に数で勝っていたので力攻めで落とそうと猛攻をかけましたが、真田丸を突破できずに大きな損害を受けたと記録に残ります。
現在、その真田丸があったといわれる場所は、三光神社、心眼寺そして住宅地になっていますが、かつての地形や雰囲気も残り、幸村ファンだけではなく、大阪城とセットで訪れる観光客も多いです。
最寄りの駅はここ!
真田丸跡の三光神社がある宰相山公園、そして心眼寺最寄りの駅は、地下鉄・長堀鶴見緑地線の玉造(たまつくり)駅。
もしくはJR大阪環状線外回り・玉造駅です。
個人的には地下鉄の方が便利と思いました。
地下鉄・長堀鶴見緑地線の玉造(たまつくり)駅の2番出口から徒歩5分くらいで三光神社がある宰相山公園に着きます。
駅の構内に案内看板もあるのでわかりやすいです。
心眼寺への所要時間は約10分くらいでしょう。
三光神社
地下鉄玉造駅から歩いて三光神社に着きました。
観光客も多く訪れる場所ですが、観光地というよりは神社なので節度をもって訪れたいですね。
見どころはこの奥です。
ありました!
真田幸村の銅像です。
信州上田城から九度山を経て大坂城に入り、大坂冬の陣の時、ここで幸村が幕府軍と戦ったんですね。
銅像の横を見てみると、なにやら石碑があります。
これは真田の抜け穴址といい、ここから大坂城へ地下道が繋がっていたという伝説が残っています。
実際には大坂城に繋がっていたワケではなく、幸村伝説のひとつですが、幸村の家臣には忍者も多くいたといわれており、そこから生まれた伝説なのかもしれません。
現在では鉄格子がはめてあり、中に入る事はできません。
もしかすると大坂冬の陣から400年経っていますので、江戸時代に埋められたとか…
いろんな想像ができますね。
また三光神社がある真田丸跡は、東側、南側がガクンと下がっています。
防御するための曲輪(出城とも)といわれていたので、攻める側より高いところにあると守るのに有利なんですね。
かつてはどのくらいの高低差があったのかわかりませんが、平地ではなかったでしょう。
心眼寺
三光神社の西200m位のところに心眼寺というお寺がありますが、入口のところに真田幸村出丸城跡という石碑があります。
真田丸の事です。
この周辺まで真田丸の範囲だったのでしょう。
三光神社から直接行けず、南側の真田山小学校、もしくは北側の宰相山西公園をぐるっと迂回して行く形になります。
ここには幸村の銅像などはありませんが、石碑以外に見るべきポイントがあります。
↑それは心眼寺周辺も高くなっているということ、つまり高低差ですね。
心眼寺の北側、つまり大阪城と心眼寺の間に空堀町という谷状の場所がありますが、そこがもしかすると、かつての大坂城の南側の堀なのかもしれません。
その堀の向こう側に心眼寺があるので、これもかつての地形の名残でしょうか?
ちなみに心眼寺には、時代は違いますが幕末の京都見回り組だった桂早之助と渡辺吉太郎の墓があります。
三光神社と心眼寺は、場所も含めて観光パンフレットにも記載されている有名な場所ですが、普通に神社とお寺です。
節度を持って参拝しましょう。