大坂の陣で家康を助けた松がある大阪天王寺・一心寺のアクセスと感想
大阪府大阪市天王寺区にある浄土宗の寺院・一心寺(いっしんじ)は、大坂の陣で家康や真田幸村が陣を置いた茶臼山に隣接したお寺です。
境内には戦国ファンの興味を惹く、真田の抜け穴や家康を助けた霧吹きの松などの観光ポイントもいくつかあります。
一心寺の住所
大阪市天王寺区逢阪2丁目8-69
一心寺の行き方ですが、まずは電車編。
大阪市営地下鉄・堺筋線(さかいすじせん)の恵美須町駅が最寄り駅ですが、谷町線の天王寺駅からでも行くことができます。
また車で訪れる際には、近くの有料駐車場を利用すると良いです。
見どころは?
一心寺は、現在でも普通に運営されているお寺ですが、境内には戦国ゆかりのスポットがいくつかあるんです。
それが以下の史跡です。
- 本多忠朝の墓
- 真田の抜け穴
- 松平仙千代の墓
- 霧吹きの松
では、これらの史跡を順番にチェックしてみましょう!
本多忠朝は、徳河四天王のひとり・本多忠勝の次男です。
関ヶ原の戦いで戦功を挙げ、大阪冬の陣に挑みましたが、伝わる話では酒を飲んでいて不覚をとり、敗退してしまい、徳川家康の怒りをかうハメに。
翌年の大阪夏の陣では、汚名返上とばかり奮戦しましたが、討死してしまいました。
亡くなる間際に、
【酒のために身をあやまる者を救おう】と遺言したそうで、それ以後、酒封じの神として崇められています。
その墓が一心寺にあります。
真田幸村が作ったといわれる抜け穴があります。
幸村は大坂夏の陣の時、一心寺に隣接する茶臼山に陣を置いており、その時の抜け穴ともいわれています。
実はこれは井戸になっており、井戸のどこかが抜け穴となっているそうですが、現在では封鎖されており、真実は分かっていません。
真田の抜け穴は、真田丸にも残されており、大坂城まで続いていたといわれていますが、この抜け穴はどこに繋がっているのでしょうか?
徳川仙千代(松平)は、徳川家康の八男です。
徳川家重臣の平岩親吉の養嗣子になりましたが、6歳で亡くなっており、墓は一心寺のほか、山梨県甲府市、愛知県名古屋市の平和公園の高岳院墓地にあります。
これにより平岩千千代ともいわれています。
ちなみに初代名古屋城主・徳川義直とは同じ母親なので、これは歴史のIFですが、もしかすると、仙千代が成人していれば、初代名古屋城主は、義直ではなく、仙千代だったのかもしれませんね。
大阪夏の陣の時、真田軍の突撃を受けた徳川家康でしたが、一心寺にあった松の木が突如霧を吹いたそうです。
これにより真田軍の勢いが鈍り、その間に幕府軍の援軍が駆けつけ、家康は一命をとりとめたとか。
そのため、この松は霧吹きの松といわれ、一心寺に残されています。
現在では枯れてしまい、新たな松の木が植えられていますが、もともとの松の木も残されています。
私の一心寺の感想ですが、ここは真田幸村最後の地である安居神社、そして茶臼山とセットで訪れることをオススメします。
その理由は、徒歩で十分セットにできる範囲内だからです。
そのほか通天閣など、これらの観光ポイントを合わせれば、余裕で半日、もしくは一日の散策コ−スになります。
もしあなたが大阪城に泊まりで行く場合、1日目は大阪城、2日目は真田丸と一心寺周辺の史跡巡りをコースにすれば、旅行の充実度がかなりアップするでしょう。
それくらいディープな史跡群なので、安居神社と共にセットにすることをオススメします。