細川ガラシャ最期の場所・越中井
現在の大阪城駐車場から南へ約300m程のところに越中井(えっちゅう い)という史跡があります。
実はココ、明智光秀の娘で細川忠興の妻であるガラシャが亡くなった場所なのです。
これには、以下の様なエピソードがあります。
慶長五年の関ヶ原合戦の時の話。
天下を治めていた豊臣秀吉は亡くなり、徳川家康が台頭し、諸将を連れて上杉家討伐のために東北地方へ進軍していた頃。
石田三成は諸将の妻子を大阪城に人質として捕らえていました。
この時、細川忠興の妻・玉子(キリスト教に洗礼してガラシャと名乗る)は、三成たちの人質になると、三成と敵対していた夫に迷惑がかかると思い、屋敷内で自害したそうです。
その屋敷の井戸がこの越中井なんですね。
ガラシャはキリスト教で自害を禁じられており、家臣の手にかかって亡くなったという説もあります。
細川忠興の官職が越中守(えっちゅうのかみ)だったので、
越中井=越中守の屋敷の井戸
という風になってます。
ちなみに資料によると、ガラシャは屋敷内で亡くなっているのですが、井戸があった台所で亡くなったワケではなく、この井戸を含め周辺がガラシャが亡くなった屋敷跡という事です。
わかるかな?
現在ではこの越中井周辺は住宅地となっており、ガラシャが亡くなった場所は特定できていませんが、この周辺という事は確かなようです。
現在は石碑と祠(ほこら)と井戸跡が残されているのみ。
しかし周辺の開発っぷりを考えると、この歴史的遺構が残されているだけでも貴重ですね。
また石碑の横を見てみると、何やら文章が書いてあります。
実はこれ、ガラシャの辞世の句です。
散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ
(訳)花は散るべき時(季節)を知っているからこそ、花として美しく、人である私もそうありたい
解釈によっていろんな捉え方があると思いますが、おおよそこの様な意味です。
享年38のガラシャ。
どの様な身持ちで最後を迎えたのでしょうね。
この越中井は、大阪城からも歩いてくる事ができるので、戦国好きな方は是非、チェックしてみてください。
ところでダンナの忠興は…
ガラシャのダンナ・細川忠興は、ガラシャの悲報を聞き、関ヶ原合戦では弔い合戦のつもりで戦っていたそうです。
現在の岐阜県不破郡関ヶ原町の関ヶ原古戦場には、細川忠興の陣跡といわれる場所に石碑が建っています。
現在でも多くの観光旅行者や歴史ファンが訪れるスポットになっています。